くそったれのジャクソン

気にするなジョニージョニージョニー、行けよジョニー。

出張と読書

 

 大学を出て丸2年、地元の町役場で働いてた。人口10000もないド田舎だった。

 割とちょこちょこ出張に行ってた。っつってもだいたい行くトコは同じで、ほとんどは県庁だった。県庁に呼び出されてお膝元のホテルとかで会議、説明会、みたいなノリだった。大したアレじゃなかった。

 

 普通はみんな車で行ってたけど、僕は運転が苦手で、よく電車を使ってた。電車で1時間、揺られて行ってた。時間をごまかして、ちょろまかして、1本早い電車で行ったりしてた。青森みたいなド田舎の電車は1時間か2時間に1本しか来ないから、要は1時間か2時間余分にサボってた。いや帰りもそんな感じで、電車に間に合わなかったふりとかして、5時過ぎに戻ってきて、そのまま家に直帰、みたいにやってた。まぁ半端に、ちんけにサボってた。要はいてもいなくても同じだった。サボっても大丈夫なようなしょぼい仕事しかしてなかった。多分役場で1番楽な身分だったと思う。一緒に役場に入った友だち、保育園から高校まで一緒のトコに通ってたそいつとかは税務課とかに配属されて結構しんどい仕事とかしてて、まぁ将来の幹部候補、みたいな感じで、期待されてて、10年後、20年後はそいつの部下になって課長さん、とかなんとか、敬語で話しかけてる、しくじってそいつに怒られてる未来の自分の姿が見え見えで、まぁ、そんな感じだった。そうってだけだった。

 

 出張のときはよく本を読んでた。というかそのときぐらいしかろくに本なんか読まなかった。適当に1冊、持って行ってた。ぱらぱらと適当に読んでた。
 そんで、憶えてない。とっくにもう。内容も、何を読んだかさえ。タイトル1文字すら。つまり要は読んでなかった。読んだことにならなかった。多分一生思い出せない。忘れてる。何もかも。

 どうにか憶えてるのは、まぁ、3冊ぐらいだった。

 

1.テッド・チャン『あなたの人生の物語』

 

 SFの短篇集で、その中の「地獄とは神の不在なり」って短編だけ憶えてる。神や天使が普通にいる世界で、そんで天使が台風や稲妻、そういう自然現象みたいな感じの在り方で描かれてて、雨が恵みの雨だったり洪水になってヒトを殺したりするのと同じように、天使に遭うと病気が治ったりするときもあるし死んだりすることもある、みたいな感じになってて、そんな感じの、「物理現象」としての神や天使がぐるっと一周回って神性、超越性を帯びる、三日月や稲妻の「意味」が分からないのと同じように神さまの「意味」が、「理由」が分からん、分からないけど現実として在る、どう思うにせよそれはこの世界にあるぜ、みたいな感じで、なんというか、神がいる世界でもいない世界でも、どういう在り方で神がいようがいまいが、ヒトは神について考えるのをやめられないぜ、的な作者の主張がばーんと投げつけられてて、「お、おう」、みたいな。神は天にいまし、とかなんとか。

 

2.ジム・トンプスン『この世界、そして花火』

 

 読んだことだけ憶えてる。内容はひとつも思い出せない。
 トンプスンは好きで、結構読んでた。アメリカの、昔の売れないエンタメ作家で、死んでから「文学的にイイぜ」みたいな評価が高まった作家で、アメリカだと誉め言葉で「安っぽいドストエフスキー」みたく言われてるらしくて、あーなるほど、確かにそうだなって感じで、展開とか結構急だったりするけど逆にそれが「リアル」だわ、まぁそんなもんだよな、ヒトのアタマ、ロジックなんてこんなもんだよな、ラスト3ページでガッと変わってばーんと殺してはいおしまい、みたいになったっておかしくないよな、みたいに思えて、トンプスンを読んでると他の探偵小説が、この世界のミステリ作家全員が世界一話の長いヤツら、話の下手くそなヤツらに思えて、いいわ伏線とか、うぜぇわ、みたいな。誰が犯人でもどれが理由でも同じだわ、みたいな。

 

3.魯迅『阿Q正伝・狂人日記』

 

 短篇集。表題作の「阿Q正伝」だけ憶えてる。ラストの処刑場面、というか処刑前後の場面が好きだった。自分が何をしたか、今何をしてるのかも分からない阿Q。分からないまま自白して書類にサインして市中引き回しにされて殺される阿Q。「よく分かんねぇけどまぁこういうこともあるんだろう」とか思ってる阿Q。分かんねぇけどまぁこうやって死ぬこともあるんだろうと。まぁそんなもんだよな、とか思って死んでいく。
 阿Qの処刑を見た野次馬たちはガッカリしてる。死ぬってのに気の利いたことも言わない、見栄えのする、語り草にできる死に方をしなかった阿Qにガッカリしてる。――昔の、独裁時代のフランスかどっかの首切り役人が、「処刑されるときはみんなやたらとカッコつけてて、でもそうやって気取ってるから《王さま》のくそみたいな専制がだらだらと続いちまってて、もっとみんな、ちゃんとみっともなく死にたくないとか叫びわめいてジタバタすりゃ良かったんだ。そうすりゃみんな、これは間違ってる、みたく気づけたんだ。物語に酔わずに済んだんだ」みたいなことを言ってた、のを思い出した。

 

 あとはブコウスキーとかも読んでた気がする。でもブコウスキーみたいな「無頼」作家を読んで出張行って、村役人として県庁の職員サマのトコに行ってお話をうやうやしく拝聴して、みたいなのは今思うと相当間抜けな絵ヅラじゃねぇの、とか思わなくもない。いや逆にそのギャップをマゾヒスティックに楽しんでた、って気がしなくもない。分からん。忘れた。